次世代が直面していること
世界は今、大きく揺れ動き、希望の光さえもか細く感じられる時代です。この未来を受け継ぎ、そのか細い光を追いかけ、守っていかなければならないのは、ほかでもない若者たちです。けれどもその若者たちは、いま何を見つめているでしょうか。スマートフォンやSNSは彼らの目を内側へ内側へと向けさせ、自撮りに、フィードに、そして自分自身のイメージにばかり夢中にさせています。
私たちが信じること
SENKŌは、ビジュアルストーリーテリングの力によって、この世代の眼差しが本来向けられるべき場所——画面の外にある本物の人々、本物の場所、本物の物語——を取り戻せると信じています。年に一度のコンペティション、クリエイティブラボ、メンタープログラム、そしてデジタルギャラリーを通して、若者たちが一歩外に踏み出し、見知らぬ人と言葉を交わし、新しい目で自分たちの地域を見つめ、自分自身ではない誰かの物語を語れるよう導いています。
SENKŌは、ひとつの連帯の想いから始まりました。
2011年3月11日、日本が大地震に見舞われたとき、20年以上にわたりチェンマイを拠点としてきたドキュメンタリー写真家・映像作家の奥野安彦は、チェンマイの日本人コミュニティおよびタイのコミュニティとともに「TENKAWA」を立ち上げました。これは、被災地への義援金を集めるためのチャリティー・アート&カルチャーイベントです。この活動は3年間続けられました。しかし2014年、この連帯の想いは、より個人的な意味を持つものへと姿を変えていきます。日本の「写真の町」東川町からの協力の呼びかけに応え、TENKAWAは、生徒たちが外へ足を踏み出し、地域の人々と語り合い、自分たちの「ホーム」を記録することを後押しする、ユース写真コンペティションへと生まれ変わったのです。
その後の数年間で数十校が参加し、何百人もの生徒がタイ各地のローカルストーリーを語りました。毎年、優勝したチームは北海道・東川町を訪れ、町の国際ユースフォトフェスティバルに参加し、世界各国の仲間たちと文化やインスピレーション、物語を分かち合いました。
そして2020年、パンデミックが訪れます。
ロックダウンにより生徒たちは写真を撮ることができなくなり、続く不況によってスポンサー予算も失われました。それでも安彦はあきらめませんでした。予算のない中、すべてをデジタルで運営しながら、彼はタイの学生チームを東川ユースフォトフェスティバルへと、静かに、しかし毎年送り続けたのです。
2025年、安彦の26歳になる息子・光(Koh)は、東川ユースフォトフェスティバルの写真の数々に偶然出会い、心を動かされました。
そのどの写真にも、めったに見られないものが写っていました。出会ったばかりの2人の生徒が見せる満面の笑み。撮らせてもらったばかりのパン屋さんと交わす、思わずつられてしまうような笑い声。撮った写真を確認する瞬間に生徒たちの顔に浮かぶ、落胆と安堵と驚きが入り混じった表情。世界のそれぞれ違う場所から来た生徒たちが、言葉の壁を越えて、現地の人たちとの間に本物のつながりを見つけていました。
若者たちが画面に夢中になる時代にあって、光はそこに、若者同士のまれで本物のつながりと、ストーリーテリングという行為が持つ力の証を見出しました。その写真の数々は、TENKAWAがこれから何になり得るのかという想像を彼の中でかき立てました。しかし当時は、マーケティングもSNSもウェブサイトもなく、ロゴも10年前のままでした。
そこで、父と同じく映像作家であり社会起業家でもある光は、リブランドと、時代に合わせた新しいビジョンを提案しました。
2026年、TENKAWAはSENKŌとして生まれ変わりました。
私たちがこの名前を選んだのは、若者たちこそがまさにそうした存在だと信じているからです。遠い未来の希望ではなく、いま、この瞬間にひらめく閃光として。